功名が辻

September 09, 2006

功名が辻第35回北条攻め

一豊(上川隆也)は、針売りになった副田(そえだ)甚兵衛(野口五郎)を見て「声を掛けないのが武士の情けだ」と千代(仲間由紀恵)に言う。
だが千代は、旭姫(松本明子)から口頭で(字が書けないので)手紙を預かったと手紙を見せ、無理やり2人を会わせた。
旭姫は、甚兵衛の話(互いの苦労自慢をあの世で語ろう)を聞き、安心して死んでしまう。
甚兵衛は、死ぬつもりはなかったのか?

山内対馬守(やまうちつしまのかみ)御内室というのが、千代の正式な場での呼び名らしい。

一豊は、北条攻めが始まると功名の機会到来と喜ぶ。
だが、掛川5万石にしか増えなかった。
上司の羽柴秀次(成宮寛貴)は、100万石に。
同僚の中村一氏(田村淳)は、駿府15万石、堀尾(生瀬勝久)ですら浜松12万石になったのに。

駿府は駿河国の府中でかつて今川義元が住んでいたところ。
かなりの重要拠点で関東に直接接する場所である。
もちろん旧家康(西田敏行)領。
浜松は、遠江(とうとうみ)国の府中でかつての家康の拠点である。
重要拠点で家康がおさめていたところを家康色からぬりかえるのは、大変である。
遠州(遠江のこと)掛川は、三河のすぐとなりで同じ旧家康領だが、一豊で無ければいけないというほどの重要拠点ではないのかな?

秀吉(柄本明)のまわりでは、勢力図が大きく変わろうとしていた。
関白になるまで支えてきた弟の秀長や鶴松(秀吉の子)が死んでしまう。
三成(中村橋之助)は、淀の方(永作博美)に重く用いられる。
子を産んでくれたと信じている秀吉は、淀が大事にする三成を大事にしていく。
黒田軍師殿も戦がなくなると引退してしまい、淀派(近江派閥、浅井家臣派、旧織田家一族派)と北政所(浅野ゆう子)派(尾張・美濃派閥)と羽柴秀次派に分裂して派閥争いがひどくなる。
北政所派と羽柴秀次派を一緒にする場合もある。

千代は、尾張も美濃も近江もちがいはないという。
淀は、近江出身の千代を近江派にとりこみたいらしい(千代は、羽柴秀次の宿老の1人で尾張派の旦那を持ち、かつこのドラマでは、お市(淀の母)に気に入られていた)

一方家康は、「急(せ)いては、増えるものも増えなくなる」と旧領をあっさり、あきらめ、関東に閉じ込められた振りをした。
関東をもらって東海を手放したことが逆に天下をとるきっかけをもたらした。
よりにもよって江戸に本拠を構えさせてしまったのだ。
千代にも「英雄を座敷牢に閉じ込めた。座敷牢の主は、次の天下様かもしれないので冷たくしてはいけない」とこの段階で言わせている。
秀吉も将来を見とおすことができなかったということか
またドラマ中で「籠の鳥を殺すようなことをしては、いけない。天下を取るためには天運と人運が必要だ」とも言わせている。

一方三成は、北条攻めで致命的な失敗(城攻め失敗)をしたはずなのに描写されていない。

一方康豊(玉木宏)は、「兄上もお年ゆえ無理をなさいますな」とかいっておった。

信雄は、北条攻めの最中に家康と秀吉を攻めよう(信雄は、信雄がTOPの政権を夢見たが、家康にそんな気は無かった)としていたが、戦後尾張・伊勢からの転封をことわって秀吉の機嫌を損なって島流しにされた。

一方一豊は、「人の世は運じゃ」とマイペースでいいと思っているらしい(実際、中村家も堀尾家も江戸時代のはじめにつぶれた)
「目出度き時には、自分のことだけ喜んでおればいい」とマイペースで納得しようとしている。

| | Comments (0) | TrackBack (2)